リサイクル職人

素敵な宇宙船地球号。古タイヤがサンダルに。お金がないから長く使い続けないといけないからと。いや。お金があっても長く使い続ける努力は大事。

220万人のケニアナイロビ。ゴミが問題になっていると。高級住宅地からゴミが分別無しで出されると。それが郊外に運ばれ、そこからゴミを分別してもって行く人がいるんだ。それを買い取る業者もいると。そして、それは再び市場に出回ると。キベラスラム。うーん。スラムだ。スラムで欠かせないのがリサイクル。え。自転車の車輪を使った包丁研ぎ。空き缶が貯金箱。鍋の穴もふさいで新品同様。

ヴィクター・オコス君。15才からリサイクル職人見習いで自分でも店を持っていると。線路を作業台にして器用に作るな。お金がないから上の学校に行けなかった。卒業したらナイロビに行くことしか考えていなかったと。ぬ。8年制の学校を出たらナイロビに地方から上京してきているのか。ぬう。この年で、早く仕事を覚えてお金を稼いで自分の部屋を持って自立することを考えているとは。地方から出てきている者同士世話を見合っているんだ。技術を教え合ったりもするのか。なんか。戦後の日本みたいだwリサイクルの七輪が全国的に普及しているんだ。

お。全然違う光景。高級スーパーと。そこで買われたものが捨てられてリサイクル品になって、さらに再々利用もあると。おお。さっき教えてもらっていたのと同じ七輪か。ペンキを塗って。立派な七輪だな。アウトドアショップに売ってるよw売れたじゃんw

お。実家に帰るのか。分かれたときはまだ歩いていなかった弟達って。自分で作った七輪にお菓子に紅茶がおみやげと。ああ。自分が作った七輪で自分の家で採れた野菜を料理してもらって。牛が盗まれないように塀を作ってあげたい。みんなで住める大きな家を建てたいと。

しかし、スラムでは、貧困からの犯罪。ストリートチルドレンの増加など問題のある環境に居るんだよな。ぬ。生ゴミを集めてたい肥を作っている人達もいるんだ。ビニールが問題と。ビニールは分解されないし、ビニールが混ざっていると買ってもらえないか。こんなところでも分別が問題に。

ぬお。ケニアギコンバ市場。トンテンカントンテンカン。ドラム缶の蓋から鍋を作る。鍛冶屋だな。習ってきてやってみるけどうまくいかないと。同郷の名人が見かねて教えてくれる。身の回りのものはなんでも道具になると、手近なところにある小鍋を台におお。美味く金属が延びてゆく。こうやって技術は伝承されてゆくのですね。

宇宙船地球号の〆エココロ宮崎あおい。買い物とか行って洋服が増える。着ないから捨てちゃうとかじゃなくて、兄弟とか従姉妹にあげていると。そうすれば、ゴミにならなくて誰かの大事なものになると。

ぬう。今日のエココロは本当に〆になったな。今日の内容を見事に締めている。そう。再び誰かが使うものとしてゴミを出さないといかんのですよね。この「再び誰かが使うものなのだ。」という意識を持つことがリサイクルというものを行っていく上でとても重要ですね。うん。宮崎あおい優秀wきっと、心の中も美しいに違いないw

再生可能な資源でない鉱物資源などは、最終的にはリサイクルとしてしか手に入らないなどという時代がやがて来るのでしょう。意外と近くに。そうなったら、アニメの中に出てくるように、別の星に鉱物資源を採りに行くと言うことも始めるのでしょうかね。まだ無理そうですが。無理なので、地球にある分だけで大事に使い回してゆくしかありませんね。うーん。私の身の回りのリサイクルは何だ?この前、ペットボトルのラベルをできるだけ剥がしてリサイクルに協力しているという話はしましたね。あとは・・・。ゴミの分別をすると言うことは最近当たり前になってきていると思うので、それ以外で何かありませんかね・・・。いかん。基本的に消費してばっかだwリサイクルに関しては分別以外に努力をしている覚えがない・・・wまずはそこからと言うことで・・・・。分別は重要です。資源をより分けるわけですから。鉱石で言ったら、きちんと分別してあるゴミは純度の高い鉱石。分別があまり成されていなければ、純度の低い鉱石です。より分けていれば、資源として有効なものも不純物として取り扱われてしまうこともあるわけで、もったいないので分別の努力をしましょう・・・・と誤魔化しておきますw

あと、今回は、仕事と生活というものもテーマになっていましたよね。自分の売っている七輪を手に家に帰って、自分の家の畑で取れた野菜で食事を作って食べてもらうって、ちょっと誇らしいと思いませんか。それは、ひょっとしたら売れなかった売れ残りの七輪だったかもしれませんが、ちゃんと他人様に売れる品物を作っていると親に見せることが出来るし、親もそれを見ることが出来る。今回のこの話は、いつもよりも違った視点で感慨深いものでした。しかも、15才の少年の行っていることですからね。この少年は学校に行けなかったから働いているみたいなことも言っていましたが、立派に職人として修行をして働いています。親戚の内に居候しながらですが、きちっと自立しています。そう言う少年が向こうには山ほどいるのでしょうね。スラムの中で何とか抜け出そうと。稼げるようになろうと。私も見習わなくてはw

特にここ数年よく思うのですが、教育と職業というものは一貫したものでなくてはおかしいですよね。最終的に働けるようになるために行われるのが教育ですから。今の日本では、何か、大学に行くことが最終目的みたいな感じで、何か働くことが出来るようになることという目的はどこか忘れ去られていて、とにかく大学に行くという、目的と手段が入れ替わった状況にあるような気がしてならないのです。だから、ニートだのフリーターが生まれてしまう。

まずは、何かなりたいものは何なのか、明確な目標があって、次にどのようになったらよいのか手段を考え、それに必要な知識は何かと言うことで、それを学ぼうということになりますよね。それを何となく流されて、うやむやにしてしまう風潮というものがありませんか。流れに乗ることは大事ですが、ちゃんと乗る流れを選ばないと、とんでもないところに流されてしまうかもしれませんよ。そう言うこともしっかり考えないといけないんですよね。