開眼

BLEACH。月牙伝承。字あってますか?斬魄刀斬月の技の名前。斬撃の瞬間一護の霊気を喰らって、刃先から高密度の斬撃を生み出す。一護自身以前から撃ててはいたのですが、ねらいをつけては撃ててはいなかった。どうやって撃っているのか分かって撃てているわけではなかったからだそうで。浦原喜助は、「私が教えられるのは気構えまで。」だと。斬月のことを教えられるのは斬月だけだと。そう言っていたのだと一護は理解します。ただ振り回していただけの斬月自身向き合い修行をすることによりそれを理解し、斬月の真の力を引き出した一護。現実世界でも同じようなことが言えませんか。何かに取り組むとき、人に教えてもらえるのは気構えまで、真に取り組むには、自分自身でその道のことを自覚してやって行かなくてはならない。人のお仕着せではなく、地に足がついた形で、何が必要で、どこがどうなっているのかという探求を自分でしなくてはならないと。勉強でもなんでも、ただ人に習っているだけで終わりでなく、予習もし、復習もし、自分で学ぶ姿勢というのは重要ですよね。習う「習」学ぶ「学」両方そろって学習です。我が強いところのある私は、時に、「学」だけになってしまいがちなのですが、これだけでは非効率。0から物事を始めると言うことは大変なことです。もし、学ぼうとしていることを50知っている100知っているという人がいるならば、その先人に習えば、そこからのスタートと言うことになります。お仕着せは、意味がありませんが、それを利用し、学ぶというのであれば、とても有効なことでしょう。なんか、自分で何かをして生きているというより、何かをさせられて生きていると言うような意識になってしまうこともあるはずです。地に足がついてないというか。小中高大学に行くのは当たり前、その後は、どこかそこそこの所に就職して定年まで勤め上げ・・・なんていう安易な考えが蔓延しているのではないでしょうか。例えば、小学生が、そんな遠くのことを考え、実を堅くしてしまうのは杞憂なことでしょう。でも、女王の教室でも述べられているのですが、自分で考え自分で行動するということは、自分の置かれている状況如何に関わらず重要なことでしょう。目覚めていなければならないのです。阿久津先生はそういってましたw何となくじゃ駄目なんです。自覚を持って何かをしている人と、何となくやっている人では出る結果が違うと、そんな風に思います。まあ、中には、なんでも何となくやってるだけでも出来てしまう天才なんて人もいるんでしょうが、間違っても自分がそうだなどとうぬぼれない方が実のためだと思うし、何となくやっても出来てしまう天才の人が、自覚を持って行動したらさぞすごいことでしょうね。